1949-09-13 第5回国会 参議院 地方行政委員会 閉会後第9号
又これと同時に解散せられました在日本大韓民國居留民國宮城縣本部、略称しまして民團宮城縣本部並びに大韓民國建國青年同盟塩釜本部、略称いたしまして建青塩釜本部に対しましても、それぞれ法務総裁名義の解散指定通知書を示達しておるのであります。
又これと同時に解散せられました在日本大韓民國居留民國宮城縣本部、略称しまして民團宮城縣本部並びに大韓民國建國青年同盟塩釜本部、略称いたしまして建青塩釜本部に対しましても、それぞれ法務総裁名義の解散指定通知書を示達しておるのであります。
事件が起りましたのは八月の二十日の午前二時半からでございますが、その前に七月の三十一日に、宇部でやはり朝連の民團の対立のために傷害の沙汰がございました。
ただ下関事件におきまして、民團側にも不法行為があります。朝連側にも不法行為があります。さようでありまするから、両方とも不法行為は断固取締ると述べたのであります。ただ下関事件の最も大きな不法行為は、朝連側が加えたということを私は報告を受けておるのであります。事件の詳細は取調べが済みますれば明らかになるだろうと思います。それまでお待ちを願いたいと思います。
八月十五日以來の警察側の無責任にして奇怪なる態度は、ついに民團側の破壞的暴力行為を助長する結果として作用し、去る八月二十日の破壞的集團暴力行為となつた。
○齋藤説明員 まず大きな事件と申しまするのは、二十日の午後三時から五時ごろまでの間に、朝連側の約三百人の人たちが、民團側の事務所及び民團委員の家屋約二十戸を破壞いたしまして、そうして数名に傷害を與えたという事件であります。
○説明員(小島太作君) この借入金を取扱いました團体は、現地責任者からの報告に基きますと、戰時中から比較的強固な組織を持つておつた民團、民会等がございますが、地域によりましては、戰鬪の状況に應じて、到底旧來の組織が維持できないために、多数の避難民が集結いたしまして、その間におのずから新らしい相互扶助の事業を行うというような團体ができ上つた次第でございます。
今までこの二十八万名と九億円という見当をつけます方法は、実は外務省としては在外の公館の責任者が帰つて來ておりますし、そのほかの地方における大体同種の借入金を取扱われた民團、民会等の責任者も帰つておられまして、大部分はそれらの記録を持つて帰つて來ておられます。その記録が一應の標準でございまして、その記録に基きまして大体の見当を立てたというのが、調査のこれまでの方法でございます。
○倭島政府委員 そういう資料を集めたいというのが、この法案の一つの目的でございまして、第五條に九十日以内にその借入金を提供された人から、確認の請求をしていただくという建前になつておりますが、先ほども申し上げましたように、外務省の在外公館が直接関係しました資料は外務省で持つておりますが、そのほか民團等の自治團体で関係いたしました資料はまだその関係者の手元にあり、また調査中であるものが相当あるように存じております
それから資料の集め方の問題ですが、これは外務省の方ですでに持つている資料もございますし、それから從來現地において責任をとられた民会、民團、その他関係者の方でまだお持ちになり、整理を続けられておるのもございます。
○証人(永井正君) 私承徳におきまして、民團の副團長を終戰後やつておりました。副團長として日本軍部隊本部に連絡に行つたとき、すでに日本軍部隊はソ・蒙車に包囲されておつて、その包囲線を突破して部隊内に入り、部隊長と連絡を済まして出て來るときに捕まつてしまいました。私一人眞先に捕まりまして、そのまま捕虜生活に入つたのでありますが、その後民團は全部軍隊とみなすというわけで、約五個大隊に部隊が分れた。
それまでしか分つておりませんが、この間いろいろ金銭の問題があつたのですが、こうした点について御手洗清、それから福岡縣の行橋市の在住だそうですが、村上悦治という人、これは熱河省囲城縣の産業課長をしておつた、民團の相当の幹部をしておる、年は四十六歳、更に伊東邦義、世田谷在住のこれは少尉です。これは石切場の総監督をしておつたという。それから渡邊廣太郎、それから西村春吉、これも石切場の監督をしておつた。
ただ民團なるが故に文句を言つたから叩いた。たまたま身体も惡かつたし、場所も惡かつたから倒れたのだ、だからそれは過失で死んだのがあるということを言つたのであります。
○理事(岡元義人君) 次にもう一点聞きますが、兼松医師が……これは医師が助手か知りませんが、アルコールの飲酒及び炭殻をば投薬したという問題で絶食五日を命じて置きながら、民團長が詑状を入れられたからこれを解除した、これはあなたの裁量によつてやられたんではなかつたんですか。
これは私としては本人のいる前で言いにくいのでありますが、ここで証言するために詳しく申上げますと、鎌谷君は一般に民團からは非常に攻撃を受けておりました。それは一方私のそういうようなことをやつたからでもありましようが……。そうして羊皮工場で働くようになりました。羊皮工場で働いていたときに、羊皮工場で蒙古人が持つておつた晝食のパン、それから配給のあつたパンを泥棒しまして、そうして帰つて來ました。
それに隊長も民團も一兵も食事は一律であります。隊長としての特別食は長命中佐に上つていなかつたように聞いております。特別食の上つておつたのは恐らく吉村隊だけではないかということを申上げることができます。私は長命隊だけでなく更に他の隊にも轉属しております。それだけでよくありますか。
○証人(原田春雄君) 多くの場合は吉村隊におきましては週番下士官が設けられておりまして、吉村隊から週番下士官を通じて週番下士官は各小隊の週番上等兵、終り頃は民團の方もおりましたので、ただ週番と呼んでおりましたが、各小隊の週番に毎晩傳達しておつたわけであります。
○岡元義人君 次に伺いますが、大体民團側の者はあなたの隊は百八名ですか。
○岡元義人君 民團を除けば三百二名でありませんか。
から三月一日まで十日間に亘りまして、右三縣下に出張いたしまして、兵庫縣廰、廣島市、山口縣廰、宇部市、下関市、門司海上保安本部、萩市、島根縣の益田町、島根縣廰の九ケ所におきまして、各縣、市、町の首脳者、公安委員、國家地方及び自治体両警察の首脳者、海上保安廰の関係官、経済調査廰の関係官、その他の関係者から親しく現地の治安状況、殊に姫路事件とか、これは昭和二十三年十二月十日姫路市における朝鮮人連盟対朝鮮民團
これは引揚者が帰還の途次、民團或いは旧領事館等に預けたる証券で内地へ送付されたもの、或いは内地に上陸当時税関に保管を命ぜられた証券等が、その後逐次許可になつたものもあり、又この中には本人の手許に帰れば直ちに有價証券として利用できるものも相当ありますのでこれらの整理は政府といたしましても整理機関が設けられて逐次整理には当つておられますが、本人の住所の変更等によつて大多数のものがまだ処理されていないという
それから滿州、朝鮮におきましては同樣のことを現地の民團、民会その他でおやりになるということで、從來の現地の在外公館なりあるいは民團、民会等で現地の金を借りて同胞の急場を救われたというのがもとでございまして、現地のそれぞれの通貨を一應その当地のレートでこちらに直してみますと、約九億円に達するわけでございます。
右に付總領事館伊藤領事は總領事館から外務省に經費支出方要求したが、外務省から送金不可能であるから現地に於て可然措弁せよとの返事が外務大臣名で到着したとのことで、伊關、伊藤兩領事は民團幹部に對し維縣収容外人の青島復歸に要する經費として居留民の首肯する條件の下に醵出方勧誘せられ度いとの申出でがあり、條件としては如何なる形式で總領事館が受け入れても、該當額は内地に於て最優先的且最有利な方法で必ず責任を以て
なお元上海民團長であり引揚同胞援護會全國理事長前田秀次郎及びその友人である長濱支部長田中庄次郎等の綿布買付委任状(綿布買付にかかる一切の件)等の書類を示されたことあり。」 以上が私のところへ來訪されて手記した内容であります。なお本人は必要あれば何どきでも出頭してなお詳しい報告を申し上げる、こういうようなことであります。